2020年代の心理戦ゲーム漫画の傾向。
最近の心理戦漫画、「必勝法頼り」で内容が薄くなってきている
序盤は入り組んだ心理戦を書いていて、論理で進んでいて面白いのに、後半になるにつれて 「必勝法や必殺技を出せばいいんでしょ?」感で進んでいく漫画が増えた。
キャラゲーを目指している...?
トモダチゲームは序盤は面白いが話が進んでいくにつれ、「キャラゲー」と化す。 序盤で「頭がいいやり取り」であることを読者に示し、そのあとは そこで獲得した「キャラクターたちの天才像」で中盤終盤を走るスタイルになっている。 後半のゲームは特にこの子は天才だから...など、才能や性質を話の筋に組み込んで進んでいく。 ジャンケットバンクはギャンブラーの個々の性格や思想を詰めているが、 「正義とは何か」など、ゲームを行いながら哲学の問いを出し、あまりゲーム内容に触れずに 中盤は進んでいくことも多い。LIARGAMEのようなものを求めている筆者は少し違和感に感じている。
なぜこうなった?
・ゲームとは別に「本筋」がある
LIARGAMEは「ゲーム」が最重要で、運営についてやキャラの掘り下げやストーリーは
あまり重視されていなかった。(※単発で秋山と神崎のやりとりや、秋山の過去などが出てくるが、それまで。)
しかし、トモダチゲームは誰が本当の裏切り者か、トモダチゲームの運営の真相など、
ゲーム以外の部分でも話が進んでいく。また、ジャンケットバンクでは主人公の御手洗自身がギャンブラー
ではなく、銀行員として物語が進んでいく。
本筋とゲームの両輪で物語を進めているのである。
するとお話の都合で「こういう状況にしなければならない」という制約が生まれる。
主人公をゲームで勝たせる、ということに更に物語都合が重なるため、難度が跳ね上がる。
・キャラの掘り下げがある
前述のとおり、本筋があるということはそれにまつわる「キャラクター」の掘り下げが存在する。 掘り下げた分だけ「キャラクターにそぐわないこと」が行えなくなってしまうのだ。 このキャラに証拠を暴かせたいけど、バカな設定にしてしまったから...のような事故が発生する。 「天才キャラにうっかりミスはさせられない」「裏切者のはずなのに、ここで助けると矛盾した行動になってしまう」 など、詰めだすと本筋やキャラ設定に一貫性が出なくなってしまう。 そうならないいい塩梅の「キャラ設定」を最初に行う必要があるが、本筋があるような長い 物語では難易度が高い。仕方がないのかなという気持ちもある。
・単純にネタ切れ
正直、ジャンケットバンクのようなサシのゲームで「毎回理屈でやり取りをしろ」というのは どだい無理な話である。どうあがいても「さっきのゲームで見たような手法だ」が出てきてしまう。 そうなるくらいだったら潔くカットした方がスマートかもしれない。 本編では「我々には分からない次元の違う戦いなんだ!」という 我々を御手洗という凡人の視点の世界観にして深く語らず終わらせている。
本筋とゲームの両輪スタイルの良さ
そもそも物語であるのだから、「なんかよく分からないけど頭脳戦ギャンブルをしている」
という状況の方がしんどいはずである。そういう意味では内部事情やその運営に首を突っ込んでいく
というのは「物語」にするうえで必須に近い気もする。
また、この手法は、
読者を途中から「キャラクター」のファンに変換できる。頭脳戦や理屈のファンより「キャラクター」の
ファンの方がグッズ化がしやすいしカジュアルなオタクもつきやすい。
実際にどちらの作品も人気があるし、筆者も好きではある。
別に「1から10まで頭の内容を書かないと心理戦や頭脳戦とは言えません」というわけではないし、
その考えは表現の幅を削る危うい考えではある。本筋と両輪にするかゲームに振るかの違いでしかなく、
あくまで好みの問題だろうな、というありきたりな結論だが、好みだけで言えばやはり
もう少し理屈で詰めてほしいな、と感じている